シーレな温泉
 

 桜満開の上野公園にある東京美術館で開催されている「エゴン・シーレ展」へ。

 エゴン・シーレは、1890年にオーストリアに生まれ、16歳でウィーン美術アカデミーに入学したのち数々の秀作を発表。象徴主義に基づく独自の耽美的描写で国際的評価を得るも、スペイン風邪に患い28歳で生涯を閉じた、 ウィーンが生んだ若き天才と称される画家である。今回の美術展は、世界有数のシーレ作品のコレクションを有する、レオポルド美術館の所蔵作品とシーレの同時代の画家の作品が展示され、大規模なシーレ展としては30年ぶりの開催となる。

 前回の開催時は観ていないが、30年前といえば、1990年代初頭。シーレの作品を初めて知ったのは確か80年代あたりだったが、前回のシーレ展はバブルも終焉して世の中混沌とした時代。空間がずれたようなシーレの描写世界は、さぞ当時の空気とマッチしていたにちがいない。

 上野といえば、東京から北方面へ温泉に出かけるとき、鉄道利用だとここが表玄関となる。「上野発の夜行列車降りたときから〜」の唄にあるように、上野は北へ向かう夜行列車の始発駅だった。だったというのも、もはやその夜行列車そのものがないからだ。かつてあった寝台夜行列車、近年では札幌行きの「北斗星」、青森行きの「あけぼの」といった、いわゆるブルートレインや、札幌行きの寝台特急「カシオペア」が全廃になってひさしい。

 ガタンコトンと鳴るレール音を子守唄にして、目覚めて朝の眩い光に満ちた駅に降り立つ瞬間は、今思えば別世界に来たような感覚に陥ったものだった。その別世界にある温泉もまた別世界の桃源郷のようで、どこかエゴン・シーレが見ていた世界にも通じる何かがあるように感じる。

 なんてのは、適当なこじつけてにすぎないが、あの一夜で世界をリセットするような感覚が味わえた夜行寝台列車は、今や定期運行では山陰や四国方面の温泉に行くとき利用する「サンライズ」しか残ってはいない。とくに、東京駅から出雲市駅までを約12時間かけて夜行運行する「サンライズ出雲」は、異世界温泉に行くにはピッタリ。久しぶりにサンライズ出雲で、鳥取・島根の温泉に行きたくなってきた。

(温泉呑んべえ)
民宿で温泉
 那須温泉郷は、那須町にある茶臼岳の山腹に散在する、栃木最古の温泉地。かつて、那須十二湯、那須十一湯とも称された時期もあったが廃業などを経て、現在、那須湯本温泉、新那須温泉、大丸温泉、北温泉、八幡温泉、高雄温泉、三斗小屋温泉の7箇所の温泉地を擁する(おおるりグループから経営が代わった高雄温泉については、リニューアルオープン準備中)。そのほか、那須高原には数多くの温泉宿泊施設が点在する、全国有数の温泉郷である。


鹿の湯(公式ホームページより)

 歴史的に一番古い「鹿の湯」があるのが、那須湯本温泉。那須温泉郷のほかの温泉地の多くが一軒宿であるのに対して、宿が密集する温泉街があり、なかでも数が多いのが民宿。民宿といえば、家族経営の小規模の宿泊施設であるが、那須湯本の民宿の大きな特徴は内湯をもたないこと。なかには内湯をもつ宿も数軒あるが、十数軒ある民宿の多くが外の共同湯を利用するという、古き時代の湯治文化の名残りを維持している。


滝の湯

 この地区に3つある共同湯のなかで、有名な「鹿の湯」は日帰り客に人気の共同湯だが、民宿街の中心にある「滝の湯」と少しはずれにある「河原の湯」は、いわゆるジモ泉で、組合員限定でしか入ることができない。しかしながら、民宿も組合に所属しているので、民宿の宿泊客は鍵を借りて自由に入るころができる。つまり、宿に風呂がないので内湯が外湯という、きわめて合理的な仕組みになっている。


河原の湯

 泉質は基本的に硫黄泉だが源泉が違い、滝の湯が「御所の湯」、河原の湯が「行人の湯」、鹿の湯が「鹿の湯」と「行人の湯」の混合泉で、すべてかけ流し。泉温は、鹿の湯が41度~48度までの6つの湯船(女湯は48度はなし)、滝の湯と河原の湯は、42度から44度ほどに入浴者によって自主調整された、「熱つめ」と「ぬるめ」の2つの湯船がある。そしてそのどれもが、古く鄙びた共同湯の佇まい。ありきたりな温泉宿に慣れていると、こういった昔ながらの湯治スタイルや雰囲気が、新鮮に感じられる。
 さて、那須湯本の民宿泊、さらに翌日は秘湯の宿、そして翌々日はプチリゾート温泉と、栃木県内の温泉宿を泊り歩いたのであるが、それはいずれ当サイトの「温泉雑話」に掲載するつもり。

(温泉呑んべえ)
猿ヶ京なのに猿がない
 猿ヶ京温泉。、群馬県のみなかみ町にある温泉地。三国街道沿い、ダム湖赤谷湖のほとりに旅館やホテル、民宿が点在する温泉地である。
 戦国武将、上杉謙信がこの地をおさめ、ある晩、縁起の良い夢を見た日が唐申の年、申の月、申の日であり、謙信地震の生まれ年も申年だったことから、「この地を申ヶ今日」とするとなり、「申ヶ今日」が「猿ヶ京」と呼ばれるようになっという逸話が残っている。
 猿である。
 実際このあたりに野猿は生息していて、たまに道路脇で見かけることも。そんな猿ヶ京温泉に2010年、手湯が3箇所設置された。

「河童の湯」




「いたちの湯」




「きつねの湯」




 で、なんで「猿の湯」がないんやー。

(温泉呑んべえ)
酔っ払いはピンク色
 

 温泉と酒場は同意語に等しい。どちらも「ええ気分」という意味で。
 そんなわけで夜な夜なというか、昼な昼なというか、日々呑み歩いているわけだが、達人会のメンバーとも呑み助をロックオンして呑みに行くこともしばしば。で、今宵は都内屈指のピンク色のラブホ街を擁する、鶯谷にくりだした。
 


 メンツは、会の青年部?、お銀さんと助さん格さんとの計4人。ナニこれの水戸黄門だが、まあ違和感はない。日本全国を温泉行脚する強者たちだからね。
 まずはお銀さんと先行で「鍵屋」へ。ここは女性のみお断りを未だに堅持している古典酒場。元々は、女だけでいると周囲の男がちょっかいだしたり、それが元で男客同士が揉めたりと、いろいろ面倒なのでできた昔の酒場のしきたりみたいなものだが、今やめったにお目にかかれなくなった。でも、こういう古典酒場を好む女性陣もわきまえたもので、それを踏まえ男女一緒で粋を楽しむ稀有な場所でもある。



 凛とした雰囲気の中で徳利を傾けているうちに、助さん格さんも鶯谷入りし、河岸を変えて「ささのや」へ。駅そばの陸橋沿いにある焼き鳥屋で、1本80円(最近10円値上がりしたようだ)。店内のテーブル席でも呑めるが、ここは店外の立ちで呑むのが通。もくもくとあがる焼き鳥の煙を浴びながら(さらに道ゆく人の視線も浴びながら)、焼きあがった焼き鳥をセルフで皿に盛って、夜の空気にあたりながらグイグイ呑む。ここまでいけば、いっぱしの呑んべえといってもいいだろう。
 鶯谷といえば、都内屈指のラブホ街ではあるが、安く呑める大衆酒場もあって、なぜだかお忍びカップルよりも酔っ払いのほうが幅をきかせている。この店も立地的にはラブホ地域だが、エロエロというよりはベロベロという言葉がふさわしい。



 で、ラブホ街に突入する。まあ、ある程度の年齢を重ねると、こういうピンクな雰囲気も鈍感になるもので、我が物顔で奥に進み、ちょっと怪しい感じの中華屋「東瀛 (とうえい)」へ。ここは朝の9時からやっているので、朝呑み、昼呑みなんでもござれで、安くて旨いとあって夜呑みにも重宝する。ビルの上にはきれいなおねいさんが、体も心もほぐしてくれるマッサージ屋もありいの、客もこの街さながらな雰囲気を醸し出している、鶯谷呑みでははずせないラブ町中華だ。



 このあたりまでくると、皆が完全に酔っ払いなので、何を話しているのか、何を呑んでいるのかが曖昧になる時間帯。達人会ってどうよ、なんてちょっと危ない話などを持ちだしたりして、有意義なのか無駄なかわからない時間が過ぎていき、もう10時過ぎか。ラブホ街の中にある裏口から出て、さあ、締めでもう一軒行こう。



 鶯谷駅前の迷店「信濃路」。もともと立ち食い蕎麦屋と呑み屋が合体したような酒場で、かつては都内に蒲田、平和島、大森、そしてここ鶯谷と4店舗あったが、今や蒲田と鶯谷だけになってしまった。安くて、酒のつまみメニューが充実していて、蕎麦やカレーなどの締めものもあって、24時間営業でいつ行っても重宝したものだが、コロナ禍以降は23時まで。入って左がカウンター、右がテーブル席だが、テーブルがいっぱいだったので左へ。
 いつもはほぼひとり客用のカウンター席を、貸切でほぼ立ち飲み状態。入店と同時にラストオーダー宣言を受け、酒とつまみを怒涛のように注文したあげく皆が酩酊、散開とあいなった。
 そんで、何が言いたいかといえば、温泉も酒場も、どちらも「ええ気分」。

(温泉呑んべえ)
伊東に行くなら「○○○!」
 伊東にゆくなら「○○○!、でんわはヨイフロ」。伊東を思い浮かべると条件反射のごとく、昔テレビCMで流れていたこのフレーズが頭のなかに流れれてしまう世代ではあるが、にもかかわらず、伊東に行ってもこのホテルを訪れたことは未だない。
 伊東といえば伊豆半島屈指の温泉地。源泉数780本、湧出量も毎分34,000リットルで、どちらも国内第3位を誇る。にもかかわらず、近郊にある箱根、熱海、湯河原、修善寺などの有名温泉地の陰に隠れて、いまひとつパッとしない温泉地でもある。
 自分もかつては伊豆に行っても素通りしてしまうことが多かったが、街全体がこぢんまりしていて、飲食店もひと通り揃っている。海が近くて釣りもできるし、海鮮物も豊富で旨い。なにより、7箇所の共同湯をじはじめ、源泉50度前後で豊富な湯量の温泉がわいていて、かけ流しが基本。電車でも車でも東京からサクッと行けちゃうとあって、近ごろわりと訪れるようになってしまった。


K'sゲストハウス

 これまで「山喜旅館」や「K'sゲストハウス」などに泊まって、夜は街に繰り出すという地元堪能型で楽しんできたが、昨年「山喜旅館」が廃業してしまい、あのぬる〜い湯にもう入れないのかと思うと悲しい。



 で、今回は「南伊豆駅」から徒歩5分くらいの所にある旅館、「鈴伝荘」に連泊することにした。


 
 お風呂は露天風呂、大内風呂、小露天風呂、小内風呂の4箇所あって、そのどれもが貸切で利用する。泉質は単純温泉で、かけ流し。湯温はだいたい41度弱から42度強くらいで湯船によって異なる。
 広いお風呂をひとりで入れるなんてすこぶる気持ちいいし、客室も多くはないのでいつでもあぶれることもない。館内もリニューアルされてきれいに整っているし、持ち込み自由なので共同ではあるが冷蔵庫もあって、冷えたビールも自前で呑める。中心街からは少々離れてはいるものの、徒歩20分くらいで行け、酒場巡りにも不便しないので、文句のつけようがない。



 4箇所のお風呂とビールとを繰り返しているうちに日も暮れて、宿から歩いて10分くらいの所にある共同湯「小川布袋の湯」でひと風呂。伊東にある共同湯のなかでも一番小さく、一番ぬるい。4、5人でいっぱいになるくらいの小ぶりの湯船だけど、近所の人以外は訪れる人が少ないのであまり混まなくて、のんびりできて、伊東の共同湯で一番好きな湯でもある。



 湯上りは近くの手打ち蕎麦屋「手打庵」で軽く一杯して、帰りがけに町中華「赤のれん」で、しゅうまいとビール。



 翌日の朝風呂は内湯の大きいほうで、朝の光が心地よい。



 ここの宿は夕食プランはなくて、朝食付きか素泊まりだけ。でも、素泊まりと朝食付きの差額は500円。しかもけっこう豪華なメニューとあって、朝食をつけない手はない。
 午前中は宿のお風呂でうだうだ過ごし、昼に伊藤駅近くの「梅屋旅館」に立ち寄り。



 44度強の熱湯のかけ流し。ナトリウム・カルシウム−硫酸塩・塩化物泉。熱い湯にのぼせて10分ともたず。さて、ビールだ。
 そういえば、前にこの界隈の場末な呑み屋で呑んだことがある。おかあさんはその当時86歳で、パソコン歴4年なのに株で小金稼ぎをするし、北海道の土地が中国人に買い荒らされているのを危惧するほどの情報通。コロナなんて戦時中を思えば怖くはないと笑う、かいらしいばあちゃんだった。ビール1本とつまみ1品で小一時間二人っきりで話して、会計は700円くらいだ。あの店、どこだっけ? 昼間なので開いてはいないけど、どこだったかわからない。もうやめちゃったのかな。



 海岸通から少し入ったところにある、ひっそりとしたお食事処。招き猫が日向ぼっこしている。扉を開けるとすぐに階段があって2階へ。窓ぎわに席をとって、ぼーっと外を眺めていると、おばあちゃんが料理とビールを持って上がってきた。



 夜はそこそこの値段はするが、昼には、刺盛り、煮魚、さざえのつぼ焼き、それにご飯と味噌汁、お漬物がついた「ランチ」2000円で一杯できる。外観がボロ屋なので観光客はこないし、ここで一杯するのが伊東の昼の定番だ。



 そういえば、会報2022の特集「難易度高めの温泉」にも載せた「源氏湯」。空いている時間が2時間くらいという、限りなくジモ泉のような温泉銭湯がどうなっているかを見にいってみた。張り紙などはなかったが、やっているようには見えなかった。やはり廃業してしまった? 1日の集客が数人程度じゃしかたなかったのかな。



 午後は宿のお風呂とビール。夜は南伊東駅近くの「鎌田福禄寿の湯」へ。単純温泉で、伊東の共同湯のなかでもかなり熱く、5分ともたなかった。番台のおばちゃん、「みんな熱いのが好きだから」だそうで、ぬる目の「小川布袋の湯」とはそれほど離れてはいないが、伊東市民は7箇所あるうちの好みの共同湯にあつまっているのであろう。近くの居酒屋「開山荘」で一杯して宿に戻る。
 翌朝は、仕事が待っているのですぐに帰路へ。次回は釣りがてら訪れよう。
 てなわけで、「伊東に行くなら○○○!」の「○○○」は、自分なりに書き換わっているわけで・・・

(温泉呑んべえ)

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