縄文杉と島と温泉と

 この世界には、ただただその佇まいに圧倒される、そんな光景に出くわすことがたまにある。頭の中から雑念が消え、目に移るすべてのフォルムと色彩と肌で感じる存在感感と気が、自分自身と一体化するような幸福感。それは、まるで湯屋と湯船とお湯と香りと目に移るすべてが、巧妙な配合で融合する至福の温泉につかって、無の世界にひたっている瞬間にも似ている。
 風景を見てそう感じたのは、30年前の北海道ツーリングで津別峠から見下ろした屈斜路湖と、20年前に訪れた南米ペールのマチュピチュ遺跡の二箇所であったが、今回そこに屋久島の縄文杉が加わった。

一か八かのフェリー太陽

 平成29年の春。「島の温泉に行きたいね。屋久島なんてどう?」と言う嫁の言葉に二つ返事をし、どうせなら種子島と、屋久島からしか行けない口永良部島をセットにしては?との提案に二つ返事が返ってきたので、種子島に一泊し、屋久島経由で口永良部島に渡り二泊、屋久島に戻り三泊、鹿児島で四泊、全10泊11日の温泉旅がすんなりと決まり、梅雨入りもそろそろという5月下旬に機上の人となった。
 旅の一日目はあいにくの雨模様。鹿児島港からジェットホイールに乗船して約1時間半で種子島の西之表港に到着し、腹ごしらえもそこそこに、一昨年に新しく出来た島唯一のかけ流し、種子島温泉「赤尾木の湯」でまずは第一湯。さらにレンタカーを飛ばし、島の南の浜田漁港のはずれにポツンとある「浜田温泉」で、もうひと湯を浴びた。
 浜田温泉は、島に四施設ほどあるほかの温泉施設とは趣の違う、周辺住民がポツリポツリとやってくるような、昔ながらの共同湯の雰囲気をもつお風呂で、窓から見えるちっぽけな港が、島の温泉にいる実感をひしひしと感じさせた。
 旅の最初の訪問地となった種子島は、屋久島から東に、最短で20キロメートルにも満たない近さに位置する。鉄砲伝来の地として歴史的に有名だが、今や日本が誇るHUAロケットの打ち上げの地としても世界的にも名を馳せている。
 そんな科学な島にも古くから温泉がわいており、初日の宿の「恵美の湯」は、元は明治時代からある島の湯治場であった。今はロケット発射を見学できることで有名なこの宿は、国内でも有数のサーフポイントが点在する種子島だけあって、サーファーが集まる今風な造りに生まれ変わっており、部屋の外には間近に海を眺められるデッキがあるなど、昔の湯治場の雰囲気はもう残ってはいない。
 それでも、温泉の湯は今も昔も同じはず。ひとたびお湯につかれば、そんな時代の変わりようは、もうどうでもよくなってしまうのだ。
 一日中降り続いた雨は、日が暮れるころに益々激しくなり、これからの天気が心配になってくる。というのも、明日は屋久島を経由し口永良部島へ渡る予定だが、口永良部島への唯一の交通手段である「フェリー太陽」の別名が、″欠航丸と呼ばれているからにほかならない。波の高さが3メートルを超えると有無を言わさず船は出ない。口永良部島に渡るにも戻ってくるにも、この船が出ないとお話にならない。仮に明日、フェリー太陽が出ないとなると、屋久島滞在を先に回すという手もあるが、いずれにせよ、口永良部島へ行けば行ったで帰ってこれないということもあり得るわけで、離島への温泉めぐりは、天候とスケジュールとの闘いでもある。
 そんな杞憂もなんのその。朝の7時前後にwebで発表される、その日の運行情報には出航の文字が並ぶ。島に二つあるフェーリ乗り場のうち、北にある表玄関の西表港とは対照的な、島の南にある地味な島間港から、フェーリー太陽は無事に出航し、屋久島経由で口永良部島まで、しばしの船旅が始まった。
 屋久島町が運航する「フェリー太陽」は、総トン数408、旅客定員100名、車両搭載数バス2台、乗用車3台の小型フェリーだ。小型といっても船体は二層構造になっており、簡素な造りながら一等船室や展望デッキもある、いっぱしのフェリー客船である。乗客はといえば我々の二人のみで、思いも寄らずになんとも贅沢な貸切クルーズになっている。
 とはいえ、天気は依然とパッとせず、船は鉛色の海を屋久島に向かって黙々と事務的に進んでいくだけ。切符のチェックもなければ客室乗務員の姿もなく、閑散とした二等船室の隅の方でポツンといる乗客二人っきり。まったくもって贅沢とはほど遠い、むしろ悲壮感さえ漂ってくるほどの、ほったらかしである。
 約一時間後、船は屋久島の宮之浦港へ着岸し、一旦下船となった。降り際に船員さんから、「○○分までに戻ってきて」と声をかけられ、我々は忘れられていたわけではないことにそこで気づいた。
 港のカフェでひと息をついて再び乗船すると、さすがに口永良部島への唯一の航路だけあって、船内はけっこうな賑わいをみせている。ほとんどが島民の方なのだろうか、能天気な観光客風はどうやら我々だけのようだ。同窓会かなにかで久しぶりに島へ戻ってきたであろうご年配の方々が、懐かしそうに島を眺めだすころ、口永良部島の唯一の玄関口である、本村港が大きく視界に入ってきた。

火山の島でヨットマンに出会う

 口永良部島は、屋久島の西方約12キロメートルにあるひょうたん型の小島で、人口は150人にも満たない。平成27年5月にあった新岳の大噴火で全島避難となり、ようやく翌年6月に一年ぶりの帰島が許されのは記憶に新しい。今もなお噴火警戒は解除されておらず、島を一周する道路は立ち入り禁止区域で寸断されたままだ。一般的にはあまり馴染みのない島ではあるが、温泉が四箇所あり、当然それが目的の今回の来島であった。
 島に上陸すると、乗船客はそれぞれ蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、小さな港には我々だけが取り残された。たしか、今日から二泊する民宿「恵文」の親父さんが迎えにきてくれるはずだったが、待てど暮らせど人の来る気配はない。というか、人っ子ひとり見えやしない。
 ひょっとして忘れられている? そんな不安が心をよぎり、しかたなく電話を入れると、港の近くの学校に一時間後に来ててほしいとのこと。どうやら忘れられていたわけではなさそうだが、いきなりの先制パンチは、のんびりした口永良部島の雰囲気を知るには十分だった。
 第一発見島民は、一輪リヤカーを押してとぼとぼ歩いてきたおばあちゃんで、島唯一の商店での買い物の帰りと言って、猫の餌を大量に買い込んできたようす。二番目は、五、六人の学校帰りの小学生たち。商店の場所はどこ?と声をかけると、くったくのない笑顔で答えてくれる。これが東京なら不審者として通報される事案だが、どちらがまっとうかは、言うまでもない。
 商店で冷えた飲み物を買って、学校の校庭で時間をつぶす。これが東京なら、不審者として通報される以前に、校内に入れもしないだろう。素朴な島の時間の流れのなかで、待ち時間はその倍にも感じられたが、ゆったりとした島の波長に慣れるには、そんなひとときを過ごすに限る。
 やがて時間は夕方の四時ごろ。一台の軽自動車がやってきて、色黒でごま塩頭の宿の親父さんがこちらに向かって手を挙げる。悪びれることもなく屈託のない笑顔は、実直で気さくな性格を顔一杯ににじませていて、せこせこした時間にとらわれている自分のほうが、実はおかしいということに気づかせてくれた。
「クラッチ、運転できるよね」といきなりの第一声。さらに「これで島を観光して、6時半過ぎに戻ってきて」の言葉が続く。その訳は、これから小学校の体育館で週一回の卓球教室を開くためという。てっきりこのあと宿に向かうと思っていた我々に、今度はストレートパンチ。もうノックアウト寸前だ。 島の交通手段は車のみ。バスもタクシーもレンタカーもないとあって、温泉をめぐるには車を調達するしかない。事前に、宿の親父さんに車の手配をお願いしていたが、まさかの急展開に面をくらう。でも、温泉に行けるとなれば話は別だ。さっそく、島の西側にある「西之湯」へ向かった。
 海岸線を通る道をしばらく走ると小高い場所に小さな目標が出ており、その辺に車を停めて下に降りると、小道一面を褐色のフナムシが埋め尽くしていた。足を進めるとザザザとフナムシが四方八方に逃げまわり小道のセメント色が現れるという、おぞましい洗礼を受けつつなんとか海沿いまで進むと、岩場の上に建てられた掘っ立て小屋があり、ブロックで組んだ素朴なふたつの湯船に湯がたまっていた。男女の区別はとくに表示がなく、湯船の奥に覆いかぶさるように板場があって寝転がれるようだが、朽ちているので乗るのは躊躇する。潮の満ち引きにより湯量が変わり、湯だまりの底からわき出るお湯は熱めだが、木の棒栓の抜き差しで湯量を調整し、湯温の上げ下げができる仕組みのようだ。湯船の湯が少し熱めだったので、備え付けのバケツで水を入れて適温に調整し、風呂からは海は見えないが、潮風を感じながらしばし、離島の素朴な温泉を楽しんだ。
 時間はまだまだあるので、平成20年7月にできた、港のそばにある日帰り施設「本村温泉」でもうひと風呂。管理の方の話によると、先ほど会った宿の親父さんは、島では「ヨットマン」と呼ばれているという。なんだかイカすその名の持ち主と再会できたのは、夜の7時を少しまわったころだった。

島の外れの共同湯と土砂埋没温泉

本村港近くの学校から、島の北東にある宿までは車で小一時間。すっかり暗くなった島の幹線道路は、一車線半あるかないかという狭さで、対向車など絶対来ないといいきれるほどに寂しい道だった。時刻は8時近くになり、これから果たして夕飯は出るのだろうか?と一瞬不安がよぎったが、宿に着くなり 「お風呂に入ってきて。食事の用意しておくから」との言葉を聞き、ひと安心して共同湯である「湯向温泉」へ向かった。
 細かな白い湯の花が溶け込まずに浮いている、初めて見るような硫黄泉の湯は、熱めであったが肌になじみ、建て替えられてはいるが、湯屋と湯船はすでに年期の入った渋さを漂わせている。お湯のよさとその佇まいは、今まで入った共同湯のなかでも上位にくるくらい。湯向に宿をとったのは、この共同湯があったからで、朝夕ここに入りたいという嫁の見立ては確かなものだった。
 湯向集落の住民は10数名だが、民宿は2軒もある。そのうちのひとつ「恵文」は、建物自体が疲れ果てており、宿として機能しているのかどうかも怪しいが、ヨットマンひとりで切り盛りしているようだ。食事は居間でヨットマンとさしで食卓を囲む。その名の通り亀の手のような珍しいかたちの貝「カメノテ」を始め、海の幸づくし食材は、ヨットマンが採ってきたもので、本業は漁師という。話を聞くとほぼ同年齢で、一気に親近感がわいてくる。酒を酌み交わしつつの食事は、まるで親戚の家に遊びに来たようで、ここが宿だとはしばし忘れてしまいそうになるほどだった。
 翌日は、再び車を借りて「寝待温泉」へ。海沿いに建つコンクリの湯屋は地崩れで半分埋まってはいたが、中は綺麗に掃除されていた。女湯は土砂で埋まってしまい、混浴使用の男湯の湯船には、足元湧出の湯がこんこんとわいている。硫黄の香りがする湯は舐めると少し塩っ辛い。ぬるめの湯にゆったりつかると波の音が聞こえてきて、ここまで来てよかったと、しみじみと感じられた。
 寝待温泉のすぐ近くには「立神」というどでかい奇岩があり、潮が引くとそこに温泉がわくというので、はしご湯をすることにした。まだ海水がそこかしこに残る岩場を慎重に進むと、湯が溜まりかけた一角があったので、お尻をつけてはみたものの、フナムシの幼虫なのか、細かい虫が一瞬でわさわさと肌にまとわりついてきて、慌てて湯から飛び出した。何箇所か肌が赤くなっていて、やっぱり野湯は苦手だと後悔するもあとの祭り。先ほどまでの至福感は、一気にどこかに吹っ飛んでしまっていた。
 気を取り直して、ヨットマンが作ってくれたお弁当を広げる。青い海と潮の香りがさらなる味付けをして、ことのほかうまい。こうして、寝待温泉の印象は再び回復し、ギアがなかなか入りづらい車をなだめつつ、何もないことが素敵な島を、しばしドライブして宿に戻った。
 その晩の食卓も昨夜と同じく三人で囲んだ。ヨットマンは近ごろ民宿業に熱が入らないらしく、久しぶりの客を相手に話がはずんだのか、得意の卓球のこと、なぜか部屋の中ににかかる「湯向ボクシングジム」の看板が、若いころやっていた自分ひとりのジムであったこと、島では一緒に住んでいないが実は綺麗な奥さんと子どもがいることなどを、写真を見せつつ話してくれて、口永良部島民の暮らしの一面に接した楽しいひと時を過ごした。それにしても、若いころのヨットマン。でかでかと「あしたのジョー」の文字の入ったTシャツを着てボクシングポーズを構える姿が、実にかっこいい。もちろん、今もかっこいいヨットマン、お世話になりました。
 翌日のフェリー太陽も無事出港が決まり、よくある港でのお見送り風景もなく、少々寂しい出港ではあるが、口永良部島ともお別れだ。港から間近に見える新岳からはかすかに噴煙が見え、あれが大爆発したときは、この港から避難した島民の皆さんはさぞ恐ろしかったに違いない。この先もこの島の人たちは、あの火山とともに生きていくのだろう。かたや火山があるからわいている温泉を、ひとときだけ楽しんで帰る自分たち。つかの間の滞在者ではあったが、この島のことが大好きになったことだけは確かだった。

海を見ながら入る天然露天風呂

 屋久島は、鹿児島県の大隅半島佐多岬の南南西約60キロメートルに位置する、言わずと知れた世界遺産の島である。フェリー太陽は、口永良部島に向かったときとはうってかわり、青空のなか穏やかな航跡を残し屋久島へと近づいていく。そんな船内にはなぜだかヨットマンの姿があって、明後日に種子島で開催される卓球大会に出場するために、今夜は屋久島に泊まるという。港での見送りがなかったのは、実はそういうわけだった。
 屋久島での宿は民宿「志保」。朝食のみの宿なので、その夜は安房の町の居酒屋で、地産地消のつまみで一杯と決め込んだが、あまりに店内が騒々しいので、まさしく一杯くらいで切り上げて、喫茶風のレストランで屋久島名物のトビウオの唐揚げを食べて溜飲をさげた。帰りに町の体育館で練習に励むヨットマンを陣中見舞。翌日の健闘を祈ってここでお別れをした。我々の翌日は屋久島の温泉めぐり。「平内海中温泉」とご対面だ。
 屋久島にはいくつかの温泉があるが、なかでも、平内海中温泉は温泉通の間でも有名な、海沿いにある天然の岩を利用した露天風呂。水着着用は不可で、しかも潮が引いたときにしか入れない、難易度の高い温泉である。
 その日の干潮の時間は正午ごろということで、行く前に道中にある「尾の間温泉」でますはひと風呂することにした。開湯は350年前ともいわれるここの風呂は、足元湧出の熱めの湯がかけ流しになっており、日曜日とあってか、ひっきりなしの湯浴み客で少々落ち着かなかったが、島で一番人気の温泉施設というのもうなずける良泉であった。
 干潮時間の正午まではまだ1時間近くもあったが、とりあえず行ってみるかと平内海中温泉へと向かうと、テレビの撮影隊が温泉に陣取っていた。どこかで見覚えのある男性タレントと教授風のおじさんが、何やらお湯の検証をしていたが、すでに湯船にお湯が溜まり始めているので、カメラの死角を狙って入湯した。
 ここにはお風呂を見にくるだけの観光客も多く、人が多いと落ち着いて入っていられないのだが、やってくる観光客は撮影が入っているのでほとんど近づいてはこず、さらには気配りのできる撮影クルーだったため、映らないよう工夫もしてくれ、少々周りは騒がしいが、海を見ながらしばしのひと湯を堪能できた。
 やがて撮影も終了し、一般の入浴者もぞくぞくとやってきたので退散したが、普通なら邪魔なテレビ撮影が防波堤になってくれたということで、結果オーライだったのかもしれない。
 平内海中温泉から車で10分ほどの所に、こちらも海が眺められる露天風呂の「湯泊温泉」がある。海沿いにあるにはあるが、殺風景な場所に造られた人工の湯船がぽつんとあって、居心地はあまりよくはない。その先にある「先の湯」は、岩を利用した天然風呂で、ロケーションも平内海中温泉より断然素晴らしい。先客がいたので遠慮して、手前にあった小ぶりの窪みに強引に入ってはみたが、ぬるぬるしていて気持ちよくない。ほどなく先客が出たあとは、先の湯のぬるめのお湯と風景を満喫した。

樹齢三○○○年の縄文杉に会う

 普段の自分たちの旅は、そのほとんどが温泉がらみ。いくら有名な観光地がそばにあっても素通りが常だったが、屋久島といえば「縄文杉」。車で行ける紀元杉で十分と言う嫁を、「屋久島に行って縄文杉を見ないなんて、クリープを入れないコーヒーみたいなものだ」という、一発で歳がバレるフレーズで説得し、明日はいよいよ縄文杉までのトレッキングだ。
 まだ夜が明けきらない早朝の午前4時すぎ。手配していたお弁当を受け取り、縄文杉への登山道の入り口、「荒川登山口」行きのバス乗り場へ向かう。すでにバス待ちの列は伸びていたが、始発から2番目のバスに乗り込むことができ、午前7時に縄文杉を目ざして歩き出した。
 縄文杉への道のりは、トロッコ道と呼ばれる比較的平坦な道を、高低差300メートルの大株歩道入口まで3時間ほど歩き、そこからは高低差400メートルの山道を2時間かけて昇る、往復10時間の一日コースである。トロッコ道は平坦ではあるが、枕木に足を取られて歩きにくく、山道には木製の階段がかけられ登りやすくなっている所もあるが、急勾配もあって、いっこうに減らない腹回りの贅肉と日ごろの運動不足の身では、到達できるかどうかの自信もなかった。それでも、ハート型の切り株の「ウイルソン株」や、ここから世界自然遺産区域の印を越えてから、そこかしこにある杉の巨木を眺めながら、なんとか縄文杉までたどり着くことができた。
 幹周16.1メートル、樹高30メートル、樹齢推定3000年以上の縄文杉。目の前にそびえ立つその姿を見たときは、もう言葉などいらなかった。 帰路は黙々と来た道をひたすら歩く。なんとか、午後5時半発の最終ひとつ前のバスに乗れ、無事に宿へ帰り着いた。長くて忘れられない一日が終わった。
 翌日は、ぬる湯が心地よい渋めの日帰り施設「楠川温泉」、貸切風呂の「ゆのこのゆ」、そして、かつては温泉だったけれど今は枯れてしまい地下水を沸かしている、海沿いにぽつんと建つ「大浦の湯」に立ち寄った。さらに、鹿児島行きの船の出航までの時間をつかって、「西部林道」をまるでサファリパークのようにドライブ。野生のヤクシカと猿に出会って、屋久島での滞在を締めくくった。
「月に三五日雨が降る」と言われている屋久島滞在中は、幸運にもずっと晴れの天気が続き、縄文杉にも無事に会えた。三つの島で入った温泉もどれもが印象深く、充実の島旅だった。
 湯の枯渇や廃業など、温泉はいつまでもあるわけではない。しかしながら、悠久の時を越えて奇跡的にそびえ立つ縄文杉の姿を見られたのは、今この時代に生きていたからこそ。この旅で入った温泉たちとも、今生きているこの時だからこその、奇跡の出会いなのである。

温泉達人会 会報2020 vol.11掲載の「縄文杉と島と温泉と(井澤俊二)」より再編集で掲載
※情報は2017年当時のものです



鹿児島空港に到着


種子島温泉・赤尾木の湯


看板もない素朴な浜田温泉


浜田温泉のお風呂


恵美の湯からはロケット発射場が見える


恵美の湯のお風呂


島間港に停泊中のフェーリー太陽


種子島、屋久島、口永良部島を結ぶ


豪華?な貸切クルーズ


口永良部島が見えてきた


閑散とした港


島の全図。立ち入り禁止区域の表示も


島唯一の商店


島唯一の学校。小学校と中学校の併設


海沿いにある西之湯


塩分と鉄分を含んだナトリウム-塩化物


本村温泉


鉄分を含んだ単純温泉の加温


湯向温泉の共同湯


湯はなかったが外に露天風呂もある


寝待温泉。土砂で下半分が埋まっていた


白濁した硫黄泉が湯底からわいている


立神の巨岩のたもとにもお湯がわく


湯向温泉の民宿「恵文」


ヨットマン手作りの夕食


平成27年に大噴火した活火山の新岳


尾の間温泉


平内海中温泉


いくつかの湯船が点在する


湯泊温泉


先の湯


山道はだんだんと険しくなる


ハート型の切り株のウイルソン株


樹齢推定3000年以上の縄文杉


楠川温泉


大浦の湯


西部林道の野生のヤクシカ