ベトナムでだって温泉!

 抜けるような青空の下、温泉につかってぼーっとする。気持ちよくないはずはない。例えそこがベトナムであっても。

ベトナムの温泉めぐりって?

 2019年12月、もうほどなく2020年になろうかというころ、ホーチミン着、帰りはハノイ発の航空チケットのみを買って、ベトナムへ向かった。東南アジアに位置するベトナム社会主義共和国。その国土は南北1650キロメートル、東西は600キロメートルの縦長の地形をしており、気候は熱帯モンスーン。1887年にフランスの植民地となったあと、第二次世界大戦後の冷戦による対立構造に巻き込まれ、国は南北に分断。1965年2月に始まったベトナム戦争を経て、1975年4月のサイゴン陥落での戦争終結をもって、1976年7月2日に統一国家となった。
 ベトナムといえば、ベトナム戦争、女性の民族衣装アオザイ、ベトナム料理くらいしか思いうかばないくらいの乏しい知識しかなかったが、元・北ベトナムの首都ハノイ(現首都)から元・南ベトナムの首都ホーチミン(当時のサイゴン)を結ぶ、総延長 1726キロメートルの鉄道路線、ベトナム統一鉄道(南北線)の「統一鉄道」という名前にひかれたのと、ベトナムにも温泉施設があることを知り、鉄道でベトナムを縦断しながら温泉に入るという、ただの思いつきだけで急遽ベトナム行きを決めてしまった。
 自分の海外旅のスタイルは、おおまかな予定を立ててあとは臨機応変。今回は、ホーチミンからベトナムに入国。統一鉄道で北上しながら所々の温泉に入って、ハノイから帰国という、計画というかほぼ願望みたいな旅程だったが、ま、どうにかなるでしょ、ケ・セラ・セラ。

ベトナムに到着

 成田を経ったベトナム航空便は、日本との時差2時間を差し引いてホーチミンのタンソンニャット国際空港に到着した。12月とあってか東南アジアの国に着いたときのむわっとした空気もない。
 ベトナム人にとって温泉自体は馴染みのあるものではない。というか、日本人の温泉への執着心が異常レベルなだけではあるが、ほかの多くの国と同じく、ベトナムでの温泉はあくまでレジャー施設の位置付けであり、その数も多くはない。今回リストアップしたのは統一鉄道沿線の5箇所。ホーチミン近郊の「ビンチャウ温泉」、ニャチャンの「タップ・バー・ホット・スプリング・センター」、ダナンの「フックニョン温泉」、フエの「タインタン温泉」、それにハノイ近郊の「キンボイ温泉」だ。どれもが水着着用のプールタイプのものだが、海外ではそれが普通なので“郷の湯に入れば郷に従え”だ。
 ホーチミンでは前日に予約した、バックパッカー街のブイビエン通りから徒歩10分ほどにある「グエンシャック・サイゴン」にチェックイン。ここに二泊滞在して、明日は温泉に行く予定だった。だったというのは、宿の1階がカフェになっており、両方の壁には、百種類くらいの果実酒や薬草酒の瓶が所狭しと並んでいたのだ。これはもうしょうがない。翌日は朝から呑んでしまい、遠出する気力がなくなった。酒呑みの悪い癖だが、その温泉に行くのに片道を車で約3時間かかり、施設自体も完全リゾートタイプだったので、別に行かなくてもいいか、なんて一気にテンションが下がってしまったのだ。昼間は街散策と美術館や市場などを巡り、夜はダウンタウンで一杯。のっけから酔っ払い度急上昇!
 結局、ホーチミン郊外のビンチャウ温泉には入れないままホーチミンに二日滞在したあと、サイゴン駅から次の目的地のニャチャンへ向けて統一鉄道に初乗車した。
 ハノイとホーチミンを結ぶ統一鉄道の全駅数は169駅。特急列車でも始発から終点まで一気に乗ると、30から40時間はかかり、料金は約1300000ドン(約6000円:2019年12月現在)。便によっては車中二泊の長行程にもなる。例えばハノイ、ホーチミン間をバスだと料金が六割程度、3時間で着く飛行機でもLCCだと八割程度の料金しかからないから、列車を選ぶのは、きっと鉄分の高い人に違いない。
 車両構成は、ワンコンパートメントに二段ベットふたつのソフトベッドと、三段ベットふたつのハードベッド 、それにビニール張りの椅子のソフトシートと、木の椅子のハードシートがあり、長距離の場合は食堂車が連結されている。時間や距離によって構成はまちまちだが、ニャチャンまでは昼間移動なので、ソフトシート窓側を選択。やっぱり車窓を存分に楽しみたいものね。

ニャチャンで温泉!

 車両は新しくもなくシートもくたびれているが、座り心地はわりと快適。すぐにホーチミンの喧騒をぬけると、車窓は一気にのどかになってゆく。車内は7割程度の混み具合。新幹線なみに通路扉の上に速度が出るのだが、70キロくらいが表示されると車両は左右にガタガタと揺れ出す。これも統一鉄道の旅情のうちなのか。若干の遅れでニャチャン駅に到着し、まずは5時間の鉄道旅が終わった。
 ニャチャンはベトナムでは有名なリゾート地で、なぜだかロシア人に大人気という。天気は今にも降り出しそうなあいにくの曇天で、海岸に人影はまばら。リゾート目的ならガッカリ度はマックスだろうが、ここにきた目的は温泉しかないので、荒々しい波を見るのも飽きなかった。
 予め調べておいた「タップ・バー・ホット・スプリング・センター」を取り扱っている旅行会社に行くと、こぢんまりした店舗にはロシア人の青年が一人で店番をしていた。やはりロシア度は高いようだ。30分ほど待って迎えの車に乗り、20分程度で温泉に到着した。レセプションでタオルとロッカーの鍵を受け取り水着に着替える。マッサージやアロマテラピーのついたコースもあるようだが、自分のは泥湯のみがついた一番安いコースと送迎込みで240000ドン(約1140円:2019年12月現在)だった。でもまあ、それで十分であったが。
 まず最初に泥湯。3、4人くらいが入れる湯船に灰色のどろどろした湯が張られており、そこに寝そべるようにつかる。先客はロシアの初老夫婦とそのお友だち。何度でも言おう、やっぱりロシア人密度が高い。泥湯自体は日本にあるそれと大差ないが、わざわざ海外で泥まみれになっている自分も悪くはない。20分ほどで湯が抜かれ強制退去。泥を落とし、次は湯船の大きさは変わらないが透明の湯につからされる。この湯は温泉なのだろうか? 無味無臭。成分的には日本でいうと単純温泉といったところだろうが、それを目の前の係の人に聞いても、きっとわからないと言うに違いない。
 そのあとは、大きなプールや打たせ湯があるエリアへ。100人くらいいたが、地元の人は若者が目立ったくらいで、外国人率は高い。もちロシア人。湯温は38度くらいだろうか。場所によってもう少し温度が高いところもあって、自分が心地よいと思う場所を探してぼーっとする。滞在時間は3時間なので時間をもてあますかと思ったが、レストランで食事をしたり、ビールを飲んだり、湯につかったりしているうちに時間は過ぎて、迎えの車で街に戻った。
 夜に街を徘徊していると、店先に海産物を並べている大衆食堂に出くわした。見るからに新鮮そうなそれらの中から、殻付き牡蠣と、もう一種類なんだかわからない貝を選んで、店のおっちゃんにどの料理法が美味しいのかを聞いてつくってもらった。これがもう、うまいのなんの。ビールが進む進む。料金もビール3本呑んで180000ドン(約860円:2019年12月現在)。東京にあったらしょっちゅう呑みにいっちゃうよ。
 翌日、ダナン行きの列車は30分ほど遅れて到着。食堂車に移動して朝食にフォー(米粉麺)を注文した。食堂車は、ハードシート仕様で直角の背もたれの硬い木製の座席。これに乗り続けることになったら1時間ももちそうにない。雰囲気は抜群なんだけど、楽を覚えた日本人にはずっと座り続けるのは無理だろう。
 約7時間かけてダナン駅に到着。市場探索や両替などをして、ダナン大聖堂近くのバス停からホイアン行きの路線バスに乗って途中下車。「マーブルマウンテン」という、洞窟に大きな石仏が安置してある名所に立寄ってからホイアンへ。ホイアンは小さな街ではあるが、立ち位置的には京都みたいな古い街並みが保存されている世界遺産の街だ。ただ、近年の京都が外国人観光客で溢れかえっていたように、ここホイアンも同じ有様で、情緒を味わうことはできそうにない。でも、夜になると街並みのいたる所にランタンが灯り、川に浮かぶ船に灯るランタンとあいまって、幻想的な光景が繰り広げられる。それを見るためなら訪れる価値はありそう。
 ホイアンでは「ミーソン遺跡」と「フックニョン温泉」へ、レンタルバイクを借りて行く予定だった。だったというのは、朝起きてみるとなんだか気分が優れない。体調が悪いというわけでもなかったが、バイクなのでこういうときはやめておいたほうがいい気がしたのだ。車をチャーターする手もあったが、いきなりの手配も慌ただしいので、あっさりと今日はのんびり過ごすことに切り替えた。
 ホイアンのホテル「クア・カム・ティム・ホームステイ」は、ランタンの灯る川とは別の大きな川に挟まれた一角にあって、ベランダからその大きな川が眺められた。漁船や貨物を運ぶ船、小さな観光船がポンポンポンと音を立てて行き交うのをぼーっと見ながらビール。日本での温泉旅もそうだが、こうして何もしないで過ごすのは、かけがいのない一日でもある。結局、遺跡も温泉も行かずに次の目的地のフエへ向かう。

フエで温泉!

 乗車時間は約3時間と短いが、ソフトシートの車両右側の窓側を選択。なぜ右側かといえば、この区間は統一鉄道の一番の景観であるハイヴァン峠を越えるのだが、ハノイ方面行きだと進行方向の右が海沿い側になるからだ。標高をどんどん上げて海岸線を登る列車から見る大海原は眩いばかりで、その景色は、統一鉄道の最大の見所にふさわしかった。
 フエは統一鉄道の路線のちょうど中間地点にあり、ベトナム最後の王朝であった阮朝王朝の王宮をはじめ、過去の様々な歴史的遺跡が世界遺産として残る街だ。新市街と王宮のある旧市街があり、王宮のそばにある「タム・ファミリー・ホームステイ」に二泊の宿をとった。
 翌日、ホテルでバイクをレンタルして、ようやく温泉に行くことにした。全6車線の幹線道路をまっすぐに進み、途中で全2車線の小道に入る。のどかな田園の中を走らせること約30分くらいで「タインタン温泉」に到着した。
 ベトナムでは、いわゆる原付タイプで排気量50ccまでのバイクは免許を必要としない。ただし、何かあったときの保証はなく、ハイリスク。でも、ここフエは交通量も少なく、もともとバイク乗りの自分にとっては難易度は低い。注意すべきは右車線走行と流れに乗ることだったが、実際、快適なツーリング気分を味わえた。
 「タインタン温泉」(170000ドン:約810円:2019年12月現在)はホテル併設のリゾート温泉だが、わりと地味でのどかな雰囲気。人工の細長い川が敷地内をくねくねとあり、そこに温泉が流れている。湯温は下流ほどぬるく、上流にいくほど熱くなる。40度ちょいくらいの場所でぼーっとする。川の横には広いプール型の湯船があり、ぬる湯の適温。来た当初は二組の家族づれとペアが一組いたが、いつのまにか誰もいなくなっている。目の前に木立が見え、空は快晴。静寂のなかぬる湯にじっくり。水着着用だけど、こうして心地よい湯につかっていると、ここがベトナムでも日本でも温泉に変わりない気分になってくる。ベトナムに来てよかったなと、今さらながら思った。
 川を上流にたどると源泉らしき湯だまりがある。たまたまいた従業員に話を聞くと、源泉温度はたしか60度で泉質はわからなかったが、まあ、温泉の楽しみは泉質だけではないからね。
 帰り際、従業員の女性が日本語で話しかけてきた。愛知県の自動車工場で三年働いていたという。きつかった?と聞くと、うんと頷いていたが、この人もひさびさに日本語を話したかったのかな。日本では温泉に行っただろうか? フエに日本資本が和風の温泉施設をつくる計画があるという。温泉好きのベトナム人も増えていくかもしれない。
 夕食に出ると街が騒がしい。レストランというレストランに人がたむろしていて、大型ビジョンでサッカーの試合を見ている。東南アジアサッカー選手権でベトナムが決勝に出場しているという。どこもかしこも混んでいたので、場末の小さな食堂の店先の路上に座って、小さな液晶テレビでサッカー観戦をしながらビール。周囲の熱気がむんむんする。結果、ベトナムの勝利で優勝。そのあとは、若者がバイクで街中を走り回って、夜遅くまで遠くで爆音が響いていた。さしずめ日本での、W杯時の渋谷スクランブル交差点ノリだ。

ハノイで温泉???

 ハノイまでは夜行なので初の寝台車両。ソフトベッド二段の下段でハノイ入りだ。途中駅から青年が一人同室になったが、お互い寝るしかないので会話もなく、やがて目を覚ますとすでに列車はハノイ市内を走っていた。早朝にハノイ駅のホームに到着し、これにてハノイ、ホーチミン間の統一鉄道を乗り切った。
 ハノイでは二泊して帰国となる。予定していた「キンボイ温泉」をどうするかだ。ベトナム労働組合ホテルの中にあるこの温泉は、室内の温泉プール形式で、無骨な感じに心ひかれたのだが、片道三時間ほどかかりそうだし、今となっては鉄道で来た時間ロスがどうしようもない。温泉はやめにしてハノイの街を散策することにした。
 首都ハノイはホーチミンほど近代化が進んでおらず、昔の面影を残す建物もそこかしこに点在する。ベトナム美術博物館、ホーチミン廟、タンロン遺跡、大教会、ドンスアン市場を回ったりと、ベトナムで初めて観光らしい観光をして、昼は大衆食堂で食事、喫茶店でビール。夜は「カ・ツル・タン・ロン」で民族古典音楽鑑賞。晩飯は小ぎれいなレストランにてサイゴンビールでしめて、ベトナム最終日の一日は暮れていった。
 眠りから醒め始めたハノイの街をぬけながら、今回の旅を振り返れば、統一鉄道を始発から終着まで乗れはしたが、当初予定していた温泉五箇所のうち入ったのは、二湯のみ。全部回るには、あと一週間くらい必要だったかも。
 温泉好きにとってはどうなのかとも思うけれど、あくせくした旅よりも、こっちのほうが性にあっている。名所巡りをするよりはのんびりと街を歩いて、その国の人やその生活を肌で感じたい。そんな自分の旅の楽しみを、再自覚した旅でもあった。
 でも、つきつめれば、ずっと酒を呑んでいただけ、だったのかもしれないけれど……。

温泉達人会 会報2020 vol.14掲載の「ベトナム統一鉄道&温泉旅(井澤俊二)」より、抜粋再編集で掲載
※情報は会報掲載当時のものです。