つげ温泉


 小説、映画、アニメ、漫画のテーマで、温泉をメインにあつかった作品はそれほど多くない。

 小説でいえば、『雪国』『伊豆の踊り子』『金色夜叉』などを思い浮かべるが、あくまでそれは舞台が温泉であるだけ。ヒット作、映画『テルマエ・ロマエ』(漫画原作)にしても、ローマ時代の公衆浴場を題材にしていて、温泉にスポットをあてているわけではないし、名作漫画『まんだら屋の良太』は、九州の架空の温泉郷が舞台だが、お色気シーンに女風呂が出てくるくらいで、物語の進行に温泉自体が関わってはない。
 アニメにおいても温泉が登場することは多々あるが、温泉旅館で物語が展開する『花咲くいろは』(小説原作)は、仲居見習い奮闘記。『千と千尋の神隠し』の湯屋は、そもそも温泉かどうかもわからず、そのほかにもアニメには温泉が出てくるエピソードは多いが、お約束の女性キャラのお色気サービスシーンが主だ。

 こうしてみると、スポーツや音楽、料理グルメなど、他ジャンルには名作といる作品は多々あるが、こと温泉に関しては、温泉そのものが印象的に描かれている作品は、あまり見当たらないといいってもいいだろう。そんななかで、漫画家つげ義春氏の作品には、いわゆる「旅もの」として温泉宿に特化したものがいくつかある。そしてそのどれもが、温泉好きの心をくすぐるのだ。

 つげ氏は、昭和12年東京都葛飾区に生まれ。17歳の時に漫画家デビューし、主にマニア向け漫画雑誌「ガロ」に掲載するなか、代表作『ねじ式』が、そのシュールで耽美な芸術的作風で世間の注目となった。「旅もの」作品や旅行記のなかに登場する温泉は、リアルかつ抒情的で、読むもの、とくに温泉好きにとっては、こんな温泉に入りたい、こんな宿に泊まりたい。そんな思いをふつふつと湧き上がらせる。

 漫画作品に登場する温泉、湯宿温泉『ゲンセンカン主人』、二岐温泉『二岐渓谷』、玉梨温泉『会津の釣り宿』、蒸の湯温泉『オンドル小屋』、松崎温泉『長八の宿』は、昭和40年代に氏が実際に訪れて、作品のモチーフにしたもの。どの作品にも、鄙び感あふれる素朴な温泉情景が描かれている。
 そのほか、イラストとして描かれた、黒湯温泉、北温泉、早戸温泉、木賊温泉などや、旅行記やエッセイに登場する、湯平温泉、網代温泉、下部温泉、養老渓谷温泉、塩川鉱泉、夏油温泉、定義温泉、岩瀬湯本温泉などの描写は、なぜ、この時代に生まれてこなかったのかと思わせるほどに、温泉心の琴線にふれる。


二岐温泉「湯小屋」当時の面影を残す玄関

 つげ氏が訪れた温泉は、今や時の流れのなかで環境が変わったり改築されたりして、残念ながらその佇まいや風景の多くが、その面影を残してはいない。それでも、かつての古き良き時代の温泉の原風景を求めて、「つげ温泉」を巡礼する温泉好きたちは後を絶たない。

(温泉呑んべえ)
 
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